シリーズ龍馬伝~中島作太郎~

薩長同盟成立前夜、いよいよ亀山社中が活躍期を迎えたね。

長州藩出資で薩摩藩名義の武器・弾薬・軍艦を購入して大活躍をした長次郎さんが死んでしまったのは悲しいが、貧乏浪人集団が一大海上藩になっていく姿はワクワクさせられた。

その亀山社中もいつの間にか人が増えた。
人物こそあまり露出しないが、名札にずらっと名前が並んでいた。
以前当ブログで記事にした、菅野覚兵衛は本名の千屋寅之助(ちや とらのすけ)でちらほら登場していたようだ。
このひとはおりょうさんの妹を娶って、龍馬の義理の弟になる人だし、馬関海戦の際は艦長を務めたほどの人だから、もっと露出するかと思ったが、ストーリーとは関係ないからかあまり出て来ないのね。

ちょっと紛らわしいのは、全員脱藩浪士で薩摩藩の庇護を受けている関係上、変名を使っているところだ。

先日切腹した近藤長次郎さんはこの頃上杉宋次郎と名乗っており、数々の歴史資料にもその名前で登場している。
千屋寅之助は菅野覚兵衛、沢村惣之丞は関雄之助、伊達小次郎は陸奥陽之助、鵜殿豊之進は白峰駿馬など、皆変名を使っている。
後世、本名が有名だったり、偽名の方が有名だったりまちまちだ。
菅野覚兵衛や陸奥陽之助は偽名の方で通ってるね。
陸奥は紀州藩家老の名門・伊達家の生まれで、今も外務省に銅像が建つカミソリ外相・陸奥宗光のことだ。
龍馬や沢村は本名で通ってるね。
龍馬伝の劇中では、偽名は陸奥のみだ。
ちなみに龍馬の変名は、才谷梅太郎。

さて、その亀山社中メンバーでまだ登場はしてないけど名札が確認できた人の中にこのひとの名がありました。

中島作太郎。

板垣退助が結成した自由党の初代副総理になる中島信行のことだ。
のちに神奈川県令や元老院議官、貴族院議員を歴任して男爵となるこの人物は、まだこの頃亀山社中最年少のハタチそこそこの若者だ。

龍馬はこの若き才人を可愛がったらしい。

その作太郎がのちに師事した板垣退助は、
「板垣死すとも、自由は死せず」
の台詞で有名な自由民権運動の総本山的な人だね。
テロリストに襲われた際に吐いた言葉だ。

その板垣退助は坂本龍馬をリスペクトしていたとも言われている。
坂本龍馬は、幕末期には珍しい天皇のもと万民平等主義を掲げていた人と言われているから、青年作太郎は社中時代から龍馬の薫陶を受けていたんだね。
つまり、板垣より作太郎の方が先に自由民権思想を持ったという事だ。

その龍馬と晩年の行動を共にした中岡慎太郎は、庄屋の出身であった。
土佐の庄屋には天保庄屋同盟という、いわゆる天皇のもと万民平等思想があり、その思想が彼を武市の挙藩勤王主義から抜けて脱藩へと走らせたもとになったとも言われている。

作太郎も土佐出身。
こうしてみると、やはり土佐は以前から自由民権思想があったのだと思わさせられます。

その背景には、土佐藩下士が関ヶ原で敗北した長宗我部の遺臣たちで、家康におべんちゃらを使って土佐一国を手に入れた山内家臣たちから、アパルトヘイト政策によって長年虐げられてきたことがあるのではないだろうか。

われわれは山内の家来ではない。天皇のもと万民平等なのだ。

と。

いやいや、後藤象二郎や板垣退助、馬場辰猪は上士の出身ではないか。
と言われるかも知れないが、彼らの先祖のそもそもは山内家臣ではないのだ。

後藤象二郎は、大坂の陣で大阪方として散った後藤又兵衛の子孫だと言う。
板垣退助の板垣家はもともと武田信玄の将で有名な板垣駿河守信方に遡り、馬場辰猪は同じく武田信玄の将で馬場美濃守信春の末裔だ。

武田家の旧臣の末裔といえば、多くは徳川家に仕官したが、残されたものは多摩地方の郷士になった。
そして、その多摩も自由民権運動のもうひとつの総本山となったのは何かの偶然だろうか。

思えば皆戦国期に没落した大名家の旧臣たちだ。
※後藤は、一大名となった豊臣家臣として
自由民権運動と没落戦国大名の旧臣はなにか関係がありそうだぞ。

そういえば、坂本龍馬も先祖は明智光秀の関係で桔梗の紋所だという。

う~ん、面白い。
[ 2010/08/26 10:26 ] 歴史もの | TB(0) | CM(0)

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