野党

幕末は、徳川幕府への不信任から始まった。


鎖国が国是であるはずなのに、朝廷の許可も得ず勝手に開国した、という不信任である。


野党である外様(とざま)大名とその家臣たち、俗に志士と呼ばれる書生たちが、夷狄(外国人)を打ち払えとシュプレヒコールを揚げ、与党である幕府を困らせて、あわよくば政権交代までしてしまおうという運動が広まった。

世に言う尊王攘夷運動である。



その運動は次第に過激さを増し、ついには幕府をして政権を放棄せざるをえないところまで追いつめるに至った。



しかし、政権を奪取した書生たちは、攘夷というスローガンをあっさり棄て、開国という道を選んだ。


幕府こそいい面の皮だろう。


つまり、攘夷とは政権交代の為の方便に過ぎなかったのである。


初期こそ攘夷を本気で掲げ、その最先端であった長州や薩摩は実際に攘夷を断行し、諸外国と一時交戦状態にまでなっている。

だが、その結果攘夷が不可能であることに気付き、逆に英国などに接近し、ひそかに留学生を送ったりもした。

そのことは、幕府にはひたすら隠し、幕府が倒れるまで攘夷の姿勢を繕っていた。



とんだ変節漢、食言漢であるが、彼らには太く真っ直ぐなビジョンがあった。

一歩間違えれば国そのものが亡くなり、列強の植民地となることさえ考えられる崖っぷちの時代だったのだ。



果たして、そのビジョンは功を奏し、小さな島国は列強と肩を並べるほどの大国となった。





今日のにっぽんはどうだろう。


なるほど書生のような机上の空論、理想論を吐いて国民をだまし、政権を奪取したまでは幕末の志士と同じだ。


しかし、その先のビジョンはまるでない。


そこが、幕末の志士たちとの大きな違いだ。


正確に言えば、志士たちには段階があって、

最初の段階は、過激な行動や言動によって現政権の権威を失墜させることに成功した。

第二段階は、軍備を整えた集団による実力行使も含め、政権交代を成功させた。

第三段階は、政権を倒した後あらたなビジョンを構築し、ときには仲間をも出し抜いて改革に挑んだ。



この第三段階がいまの政権にはまるでない。



この国は益々混乱し、疲弊し、他国の侮りを受けている。

このままではこの国はどんどん弱体化し、あげくには他国の蹂躙を免れないかも知れない。



それが、我が子たちの時代かも知れないし、すぐそこまで来ているのかも知れない。




類希なる策謀力と権謀術数によって一国を手に入れた戦国大名の斎藤道三は、娘婿であり、隣国のライバルである織田信長を評してこう言ったという。

「いずれ我が子たちは、あの若者の門前に馬を繋ぐことになるだろう…」



こんな予感はまっぴら御免だが、無力な自分はただブログで吠えるしかできない。
[ 2010/10/05 08:21 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(0)

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